町方同心について
『 町 方 同 心 』
時代劇を見ている人で、『 定町廻り同心 』や『 町方同心 』、『 八丁堀同心 』の単語を知らない人は、居ないはずです。
今回は、自分もハッキリとまだ分かっていない部分がありますので、『 町方同心の正装 』について、記事にいたします。
◉項目
- 髪型
- 服装
- 履物
- 所持品
- その他
1:髪型
これは町方与力も同様である。
町方与力同心は、所謂『 八丁堀風、小銀杏髷 』と呼ばれ、武士と町人の中間型の髪型である。
月代は広く、生え際を見せぬよう小鬢(こびん)まで剃り上げる。
左右の鬢は引きつけ、まなじりが釣り上がるほど引きつける。
後頭部のたぼ(髱)は少々膨らませて、丁髷は細く短く、刷毛先は銀杏の葉形に小さく広げ、元結で締めた部分をことに短くしたので、刷毛先は頭上中心部にしか届かない。
これが町方与力同心の『 小銀杏髷 』である。
...髪型については、イマイチよく分かっていないところがあるのでなんとも言えませんが、「正面侍横町人」みたいな感じだと思います。
2:服装
町方同心の平時の服装は、羽織は三つ紋の黒羽織(背中に1つ、左右両袖の後ろ側の肘あたりに1つずつ)であり、羽織の裾を裏に折り上げて、茶羽織ほどの短さにして、下から角帯に裾を挟み止める。
これを『 巻羽織 』という。
※時代劇では『 五つ紋羽織 』を着用しているが、実際の町方同心は『 三つ紋羽織 』である。
同心は、袴を履かずに常に着流しにし、巻羽織と言うスタイルが許されていた。
さらに、同心の着物の仕立ては身幅が狭く仕立ててあり、走る時や捕物の際に、裾捌きがしやすいように縫ってあった。
町方同心はこれが正装であり、将軍様の御成先や大名行列の警備でも、この三つ紋の巻羽織に着流しの服装が許されていた。
3:履物
町方同心の足元は、紺足袋に雪駄履である。
雪駄を履くのは、晴雨兼用の履物が『 雪駄 』だからである。
ただ、雪駄履きでは無礼に当たる場合、同心の共をする小者が帯に挟み持っている『 草履 』に履き替える。
4:所持品
町方同心は、これらを携帯する。
である。
『 1.細身の大小刀 』のついて、これ自体は文字通りだが、町方同心は大刀を『 かんぬき差し 』にして、佩用する。
細身の大小刀なのは、当時の角帯は今より幅が広いらしく、腰差しした際に安定するようだ。
『 2.九寸の真鍮製銀流し十手 』は、袱紗に包んだり袋に入れて、内懐中に仕舞って携帯する。
『 4.金十両 』は、逃げた犯人を追って急遽旅に出る際の用意である。
『 6.鉤縄または早縄 』の『 早縄 』とは、被疑者を一時的に拘束する時に用いる縄で、結び目を作らないで縛らなければならないものである。
これは、まだ真犯人か不明の被疑者の時点で、縄目の恥辱を与えるとか、首に縄をかけるなどの人権侵害を訴えられた際に、「縛ったのではなく縄を巻いただけ、取り締めただけ」などと、言い逃れ出来るようにするためである。
『 8.上質銀製の煙管もしくは笄 』は、毒物の検出の際に使用するためである。
5:その他
町方同心は、年給が『 三十俵二人扶持 』と聞きますね。
これは文字の通りで、扶持米が三十俵で、2人まで食わす事ができると言うことです。
そのため、中村主水は姑・せん&妻・りつと組屋敷に3人暮らしをしているため、切り詰めたりしないとやっていけないとイビられる演出がありますね。
しかし、実際の町方与力同心は、諸藩諸大名や諸商人からの付届けがあり、内情は結構裕福だったようです。
まあ、八丁堀の七不思議に「金で首が継げる」、「地獄の中の極楽橋」と言うのがあるように、袖の下(=賄賂)次第でどうにでも出来たのでしょう。
ここでは平時の服装について、記事にいたしました。
近いうちに、『 町方同心の出役時の服装 』について、記事にすると思います。