時代劇での「破邪顕正の構え」
今回は74年版右門捕物帖と79年版伝七捕物帳で披露する、町方同心十手術の「破邪顕正の構え」についてです。
同じ「破邪顕正の構え」でも、近藤右門と黒門町の伝七では違う点がちらほらありました。
まずは近藤右門から。
右門の「破邪顕正の構え」は、動きと同時に「破、邪、顕、正」と言い、さらに動きも最小限でした。また動きは等間隔で「破邪顕正の構え」を披露していました。
次は黒門町の伝七です。
伝七の「破邪顕正の構え」は、構えをするときに「破、邪、顕、正」とは言わず、また動きに緩急があり、破の後腕を大きく広げてから邪の構えをしていました。。
伝七の「破邪顕正の構え」は、江戸町方十手捕縄扱い様の「破邪顕正の構え」に近いような気がします。